由来と歴史

應永二十一年(1414年)、権大僧都 善郁阿闍梨(ぜんいくあじゃり)により創建され、当時は心光寺(しんこうじ)と称し、天台宗に属しておりました。

その後、天正八年(1580年)、いわゆる「長水城攻め」で、羽柴秀吉軍が一時敗走し、生谷より上寺に退き、心光寺に宿しておりました際、長水兵の夜討ちにより心光寺は焼失いたしました。

天正十年(1582年)、秀吉により心光寺が再建され、羽柴・長水両軍の戦没者の冥福を願ったのでした。

それから後、一時期住職もなく荒廃するも、時の領主 池田備後守の帰依僧 澤水清和尚により慶安三年(1650年)に再興。寛文八年(1668年)には、『恩澤寺』と名を改め、臨済宗妙心寺派に属すこととなりました。

以来、その時々の領主や広く大衆の帰依信仰を集め、多くの人々に支えられて今日に至っております。

現本堂は、昭和十年十八代十五世 再中興忠道全衛和尚代、あたかも昭和大恐慌の真っ只中、多くの人々の信仰と膏血により建立されました。

そして約七十年を経過した平成大不況の中、檀信徒が集い、先人の労苦を偲び、鐘楼門及び本堂の屋根替えと補強工事を行い平成十二年三月、無事落慶いたしました。

境内案内

山門をくぐると、目の前には本堂、左には淡嶋さんとお稲荷さんが祀られています。本堂とお稲荷さんの間にある、ゆるやかな坂道を上れば霊園がございます。
本堂では毎月第一日曜日に坐禅会が行われ、どなた様でもご参加頂けます。
春には境内だけでなく霊園にもしだれ桜が満開となり、まさに春の境内に花を添えてくれます。
冬には雪景色も繰り広げられます。
山門を過ぎて寺の角を曲がれば専用駐車場がございます。

境内に在る二つの神社

当寺の境内には本堂の南隣に倉稲魂神(うかのみたまのかみ)御祭神の『恩澤稲荷』とその隣に少彦名命(すくなひこなのみこと)御祭神の『淡嶋神社』がございます。 『恩澤稲荷』は「お稲荷さん」と親しまれ、商売繁昌、五穀豊穣田の神様として祭られてまいりました。また、『淡嶋神社』は「淡嶋さん」と親しまれ、医薬の神様、授福の神様として崇められ、特に女性の病気回復や安産、子授け、家庭に福をもたらすと言われております。
ちなみに「淡嶋さん」は江戸末期、町内のはやり病平癒を願い町内有志により和歌山加太の淡嶋神社より勧請祭祀されて以来、多くのひとに親しまれております。